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応援メッセージ

やくざる(小村隆史)
/(一社)出水市観光�特産品協会

屋久島から”忽然”と始まった!!シドッティの日本!!

古居理事長に初めてお会いしたのはもう20数年前だろうか。私が鹿児島県屋久島事務所に勤務した時のことである。氏はその当時、ウィルソン株を発見したプラントハンターウィルソンの足跡についてご研究されており、詳しく教えていただいた。その後、ご活躍のご様子はFBで拝見していたが、このたび、「屋久島に上陸した宣教師シドッティの記念館」を建立する計画を知り、ぜひとも実現してほしいとペンをとった。
 氏が執筆された「密行 最後の伴天連シドッティ」に、薩摩藩に捕縛され屋久島から長崎まで連れていかれる経路に、私の生地である「脇元(現 阿久根市脇本)」から船で…との記述があり、私のふるさと脇本とシドッティがつながっていると思うと俄然シドッティについて多くのことを知りたくなった。現在、阿久根市脇本にシドッティの痕跡を見つけることはできないが、記念館建立に際し、シドッティに関する新たな資料が発見され、展示されるものと期待している。また、シドッティは、洋上アルプス屋久島を初めて見たとき、どう思ったのだろうか。シドッティの深堀した気持ちも知りたい。記念館を建立して詳しく紹介してもらいたい。

やくざる(小村隆史)
/(一社)出水市観光特産品協会

皇 葉子 / 個人事業主

【未来への架け橋、シドッティ記念館を設立しよう!】

ある日突然 屋久島に漂流した 一人の偉大なる歴史的人物。
宣教師、シドッティ神父。

シドッティ神父は、日本がまだキリスト教を禁止していた江戸時代に、拘束や尋問を受けながらも当時のヨーロッパの近代技術とキリスト教の思想をもたらし、それは今もなを現代社会において大きな影響を与え続けています。

そんな彼が最初に上陸した屋久島の歴史的な足跡を称え、屋久島に住む私たちは、次世代の子供達のために、彼の偉業と感動 そして教訓を語り継ぎたくて「シドッティ記念館」を設立することにしました。

共に未来の子供達のために、私たちに愛と優しさの力を貸してください!

一緒に未来への架け橋を築いて行きましょう。

ご協力よろしくお願いいたします‼️

皇 葉子 / 個人事業主

川崎眞俊 / 会社役員

我が国への最初の宣教師ザビエルに続いて最後の宣教師シドッティも鹿児島(屋久島)に!

1549年に我が国に初めてキリスト教布教に訪れたスペイン人宣教師フランシスコ・ザビエルが上陸したのは鹿児島市でした。そして1708年に最後の宣教師としてイタリア人宣教師ジョヴァンニ・バッティスタ・シドッティが上陸したのも同じ鹿児島県の屋久島でした。私がその名と史実を知ったのは2010年に刊行された屋久島在住の作家古居智子氏の「密行 最後の伴天連シドッティ」に依ってでしたが、この度同氏を中心とした「屋久島シドッティ記念館設立」の動きが有ることを知り、その為のクラウドファンディングがスタートするとのことで、微力ながら応援したいと思いコメント致しました。

川崎眞俊 / 会社役員

ゴーシュ直子 / 森林浴瞑想ヨガコーディネーター

シドッティの情熱をより多くの人へ

シドッティ神父の命をかけて来日した情熱に、心が打たれました。多くの方に、シドッティ神父のことを知ってもらいたいです。

ゴーシュ直子 / 森林浴瞑想ヨガコーディネーター

長谷川稔 / 東京都職員

記念館の完成を心待ちにしています。

日本の高校生は受験勉強の弊害か、日本史と世界史は別物、暗記力が勝負といった観点で歴史を勉強する。
本当は世界史の中の日本史なのに。もっとグローバルな視点で融合的に時代を遡ることが出来たら、歴史は面白いのにと思う。
シドッティは彼の本来の目的とは異なってしまったけど、鎖国状態の日本の時の為政者に強烈な刺激を与えたんだろうと想像する。
彼のリスクを顧みない勇気と行動力には、ただただ脱帽。
タイムマシンがあったら、新井白石とシドッティの会話(尋問)を是非とも覗き見してみたい。
記念館の完成を心待ちにしています。

長谷川稔 / 東京都職員

坂元幸一 / 霧島ジオパークガイド

最後のキリスト教宣教師

母国を出て身なりを変えても進みゆく姿。
宗教の違いはあっても、背景が色々あったにせよ、凄い信念ですよね。
黒潮の流れにのり屋久島に着いた時は嬉しかったでしょうね。
今の日本の、鹿児島の歴史の中に確かに残るべき意義ある記念館になると思います。
成功あれ!

坂元幸一 / 霧島ジオパークガイド

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