NPO Yakushima Future Works
Establishment executive committee
応援メッセージ

時空を超えてつながり、未来を創る。
屋久島を訪れたとき、シドッティが屋久島に上陸し、暮らした場所、また周囲を歩き回ったであろう近隣の森を、ご縁あって案内いただきました。岩々の向こう側に見える海から、どんな姿で屋久島の地に足を踏み入れたのだろう、シドッティも私と同じように広い青空を見上げて何を想い、屋久島の森を歩いて何を感じたのだろうー。そんなことに思いを馳せ、ワクワクに溢れた気持ちになりました。まさにその場所にシドッティ記念館を建設され、多くの人々が交わる場を創る計画があるとのこと、ぜひ実現していただきたいです。古居さんがシドッティの歴史をていねいに、ていねいに調べあげられ、そこから生み出された様々な出会いと奇跡の 連続のお話をお聴きして、シドッティに本当に会ってみたいと思うようになりました。きっとその記念館は、じっと展示を見るだけの場所ではなく、ダイナミックな交わりが引き続き生み出されながら、過去・現在・未来をつなぐ場所になっていくでしょう。一人一人の手でそれを支え、そこに参画し、時空を超えてシドッティが日本人に伝えたものを各自が受け継いで、未来を描き、創っていくー。その象徴的な場所になっていくものと期待します。
清水美香 / 大学教員、研究者

シドッティって誰?
おそらくこのクラファンのページに来た方の多くの方はそう思われたことでしょう。
私もそうでした。
一般にはまだあまり知られていない人物ですが、その生涯を紐解いていくと、技術大国ニッポンの礎にもなっている模様。
シドッティは宣教師だそうで、日本に来た最大の理由はキリスト教の布教。
日本に来る前はフィリピンのマニラで布教を成功させて、そのマニラで日本のことや日本語までも学び、鎖国中の日本に行く熱意を高めたのだとか。
布教というと、見方によっては乱暴なイメージも付きまといますが、シドッティは現地の人たちと一緒に汗を流すタイプの人物のようで、どこか日本人的な雰囲気を感じました。
そのシドッティが日本に初上陸した地が屋久島で、その屋久島にシドッティ記念館を建設したいというこのクラファン。
シドッティは日本ではフィリピンのように布教を成功させることはできなかったようですが、当時の近代化学の最先端の情報を日本に伝えたそうで、日本にとってのシドッティという人物は、その点においても語り継がれるべきなのかも知れません。
屋久島に新たな名所ができることを応援しています。
Toshimitsu Mitsuki Takahashi / アフリカ・フィリピン私設応援団長

全国の人々にお知らせしたい。
シドッチ神父の純粋な信仰心、当時の屋久島人の隔たりの無い愛、新井白石に与えた影響を!
きっと素晴らしい記念館になる事でしょう。
期待しております。
田中ミエ / デザイナー

異国への情熱に燃えた男の軌跡
1708年、日本語を学び、侍の格好をしたシドッティ神父が降り立った屋久島小島。異国への布教に燃えた男の軌跡を追う記念館の創設に心から賛同します。危険を覚悟で鎖国下の日本を目指したシドッティと、アフリカでの医療活動に燃え、HIVエイズが猛威を振るうマラウイに降り立った自分が重なり合います。私が大好きな「奥地前進」という言葉を思い起こすような、熱いロマンが交錯する場としての記念館。日本や世界のフロンティア精 神の拠点として、大きな発展を期待しています。
杉下智彦(ぽん先生)/ 屋久島尾之間診療所

新たな魅力を持った屋久島
みんなの応援によって、屋久島シドッティ記念館を建設することで、新たな魅力を持った屋久島を発信することができるのですね。
「応援」その少しの優しさが、屋久島に必要です!
ワールドエンジェル(ワーエン) / イベント・飲食業

歴史を学び 未来を見据えて
屋久島在住の作家 古居智子さんの著作や講演活動などで、シドッティ神父の事を学びました。
シドッティ神父が、日本にやってこなければ、新井白石が、西洋文化や科学知識を、シドッティ神父から学び、「西洋紀聞」を著すことはなかったのです。それは、日本の姿が、今と違ったことを意味するかも知れません。
彼の知られざる偉業を顕彰しなければとの想いが募ります。
初めて上陸した屋久島の地に、シドッティ神父の功績を記念館という形で残す事は意義深いものがあります。
多くの方が、シドッティ神父の人徳、成し得た足跡に触れ、記念館建設に手を差し伸べて下さい。
