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現代に続くシドティの日本史上の遺産

ジョヴァンニ・バッティスタ・シドティは宝永5年(1708)、キリスト教再布教のため日本に潜入し、翌年江戸の切支丹屋敷で、儒学者新井白石による取り調べを受けました。彼の名は、白石が尋問の様子を記した『西洋紀聞』によって伝えられています。シドティは白石に、地理学的、歴史的な情報を提供しましたが、それらの情報は、鎖国政策の下で外部との交流が制限されていたため、他の方法では得ることのできない貴重なものだったのです。
白石はキリスト教について批判的でしたが、さすがに当時最高の知識人でしたから、先入観に曇らされた単なる拒絶ではなく、対話と情報交換を通じた考察と反論に基づいていて、そこにはシドティの知識と知性に対する敬意さえ見受けられます。
2014年、東京での発掘調査によって、シドティの遺骨が発見され、国際的に注目が集まりました。そしてその時まであまり名の知られていなかった生国イタリアでも関連書籍が出版され、カトリック教会内でシドティを福者にする動きも進められています。国境を越えたグローバルヒストリーが呼ばれる時今、様々な文化の継ぎ目に位置しているシドティは、ますます注目を集めていくことでしょう。

現代に続くシドティの日本史上の遺産

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