シドッティ記念教会
シドッティ記念教会(カトリック屋久島教会)
イタリア北部、ヴェネト州生まれのコンタリーニ神父は、シドッティの偉業に憧れて来日し、各地の聖ザベリオ宣教会の教会を経て1981年、60歳の時に屋久島に移住した。「屋久島の土に骨を埋める」という神父の固い決意に根負けした聖ザベリオ宣教会は、シドッティ上陸地点から直線距離で1kmほど東の小島区山ノ瀬の地に「シドッティ記念教会」を1988年2月14日に建立した。
ワインとジョークが大好きで、誰にでも温かく接するコンタリーニ神父は屋久島のアイドル的存在だった。教会には信者であるなしに関係なく多くの島民が集い、常に賑わいがあった。しかし、1998年にコンタリーニ神父がこの世を去った後は、常勤の神父不在の巡回教会となり、残念ながら現在はその扉は閉じられたままになっていることが多い。
人々が気軽に交流する場として教会が復活し、さまざまな思いを抱えた人たちの癒しの空間として地域に根付いていくことを願ってやまない。
レンゾ・コンタリーニ神父
(1921-1998)
親指のマリア ステンドグラス
シドッティが屋久島上陸時に持っていた木綿の袋には、ミサの道具、十字架、若干の下着、食料などの他に「聖母マリア」(別名「親指のマリア」)の銅版油彩画が入っていた。新井白石は尋問の前に自ら模写し、「目はくぼんで、鼻筋が高く、うるわしき面体也」と書き添えている。この銅版画は数奇な運命をたどった。1792年、切支丹奉行が廃止された後、長らく行方不明になっていたが、1874(明治7)年に長崎奉行跡の保管庫で発見され、1955(昭和30)年になって白石の模写や詳細な記録と一致したことから、シドッティが持参したものであることが実証された。
「シドッティ記念教会」の聖堂の正面には、この絵をモチーフに制作された直径70cmほどのステンドグラスが収められている。
屋久島シドッティ記念教会のステンドグラス
シドッティが屋久島上陸時に所持していた銅版油彩画
(東京国立博物館蔵 重要文化財)
コンタリーニ神父記念アーチ
屋久島シドッティ記念の前庭に建てられたコンタリーニ神父を記念するアーチ。高さ約4m。2001年4月建立。神父の遺言に基づき、神父が遺した預金をもとに、聖ザベリオ宣教会の依頼でワイン友達であった屋久島恋泊在住の米国人建築家ウィリアム・ブラワーが設計・建造した。アーチの石は上陸地の近くの海岸から調達、碑はイタリアから取り寄せた石を使用。
石碑に刻まれたシドッティの顔は、コンタリーニ神父の顔がモデルとなっている。これもまた、神父の強い希望であった。時折、アーチの前で結婚の誓いをするカップルの微笑ましい姿も見られる。